HISTORY

三輪田のあゆみ

創立者 三輪田眞佐子

創立者:三輪田眞佐子

女子教育への道

 天保14(1840)年 京都に生まれる。父が儒学者であったため、幼い頃から漢籍や古典に親しみ、12歳の時には、養父で儒学者の中条侍郎の家塾で、代講を勤めほどであったという。この頃から梁川星厳・紅蘭夫妻に漢学・詩・書、高橋武之に和歌を学んだ。
 慶応2(1866)年より岩倉具視の子女の教育にあたり、明治2(1869)年伊予松山藩士・三輪田元綱と結婚した。元綱は維新政府で要職を勤めたが、やがて官を辞して妻子と共に松山に戻り、明治12(1879)年に死去。夫の死後、眞佐子は身につけた学問を活かし、明治13(1880)年、松山城下で明倫学舎を開塾。愛媛県立師範学校などで教鞭をとるかたわら、塾生の育成に励んだ。

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三輪田学園の沿革

明治20年(1887)
三輪田眞佐子、神田区東松下町に翠松学舎を開校
明治35年(1902)
三輪田女学校4月1日開校(生徒定員300名)
明治36年(1903)
三輪田高等女学校となる(5年制生徒定員約400名)…私立としては2番目の認可
昭和  2年(1927)
制服が決まる(1年生より着用)
昭和20年(1945)
4月14日、空襲により校舎を全焼 (1週間臨時休校)
昭和22年(1947)
学制改革により三輪田学園中学校となる
昭和23年(1948)
学制改革により三輪田学園高等学校となる(生徒定員600名)
昭和24年(1949)
三輪田高等女学校廃止
昭和26年(1951)
私立学校法制定により学校法人三輪田学園となる
昭和62年(1987)
創立百周年記念式典挙行
平成17年(2005)
新制服となる(1年生より着用)
平成22年(2010)
新校舎竣工

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