記録すること、感じること

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たま鑑
なんだか急に寒くなってきました。
今年は秋もなく、このまま冬に突入?
日本の美しい四季はどうなったんだ!と嘆いてばかりもいられません。
今日も生徒達は元気に学校中を走り回っています。

先日、高1生4人が校長室に遊びに来てくれて、
三輪田祭の感想や部活のこと、日常の学校生活のことなどを、
いろいろと話していきました。
高1ともなると「来年の三輪田祭は自分たちが背負う!」という自覚ができているようで、「来年はこうしたい」「こんなことは可能か」と
建設的な意見をたくさん述べてくれて、とても頼もしく感じました。

また、オペラ教室の後、新聞特別委員会の生徒と一緒に出演者のインタビューに行きましたが、的確な質問と物怖じしない態度に、
「これはすごい!」と感心しました。
彼女たちは確実に成長している。そんな実感をもてる瞬間です。

最近私は、そういった生徒の生き生きした表情を記録することにとても意義を感じていて、放課後カメラを持って校内を歩き回っています。
そうして撮った写真から1枚を選び、校長室の外の廊下に貼っています。
生徒も楽しそうにそれを見ています。
写真の技術があるわけでもなく、素人写真に過ぎないのですが、
カメラを向けるとキラキラした表情をしてくれる生徒達がとてもかわいい。
まあ、こんなことができるのも、デジカメのお陰なのですが。

カメラのレンズを覗くと、そこにいる生徒達は周りから切り取られたように見えますが、その中でも生き生きと動いています。
その一瞬の燦めきを収めるのがいい写真なのでしょうが、
これが映像だったらもっといいのに、と思うときがあります。

実は私は映画が大好きで、休みの時は映画館に行ったり、
借りてきたDVDを見たりしています。
最近見た映画で印象に残っているのは、藤沢周平原作の『必死剣 鳥刺し』。純粋に趣味で見に行った映画でしたが、映画全体が「静謐」そのもの。武士社会の理不尽に翻弄される主人公の姿とともに、印象に残りました。

一昨日は、『玄牝(げんぴん)』という映画を観てきました。
出産をテーマにしたドキュメンタリー映画で、
監督・撮影は『殯の森』の河瀬直美さんです。
『殯の森』はカンヌ映画祭でグランプリをとったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
奈良の山間地の介護施設を舞台に、子を亡くした介護士の女性と妻を亡くした老人との交流を描いた作品でした。
日本での公開当時は、「ちょっと難解な作品」という意見もあり、
賛否両論だったと思います。(私はとてもいい作品だと思いましたが…)

今回この映画を見に行ったのは、養護教諭の葛野先生が勧めてくださったから。
生徒に「いのち」について考えさせるいい作品を探していると話したところ、
「それなら…」と教えてくださったのです。
『殯の森』のテーマは愛する者の死がもたらす深い喪失感でした。
『玄牝』は逆に、女性たちが新しいいのちをどのように迎え入れていくか、というドキュメンタリーでした。

愛知県岡崎市にある吉村医院には、自然分娩を願う妊婦さんが全国からやってきます。
「不安はお産の大敵、ゴロゴロ、ビクビク、バクバしないこと」という院長先生の見守りの中で、吉村医院では妊婦さん達が薪を割ったり、壁を雑巾がけしたりしています。
十分に身体を動かし、妊婦さん同士の交流もたっぷりあり、
気分的にもゆったりした妊娠期間を過ごし、やがて迎える出産の時。
家族に見守られながら、新しいいのちを迎えます。

どの妊婦さんも、赤ちゃんが生まれた瞬間「きもちいい」「ありがとう」と言うのが印象的でした。
私も、自分の経験を思い出して、思わず涙してしまいました。

「お産は痛くて苦しいもの。女性、特にキャリアを持つ女性にとっては、その後の育児も含めて、リスクそのもの」と考える若い女性が増えているそうです。
いのちを紡ぐことは女性にしかできないこと。
子どもを生み育てることは、新しい歓びを得ることだと考えられたらいいなと思います。(もちろん、大変なことも事実ですが…)

一方で、誕生を待たずに亡くなっていくいのちもあります。
タイトルの『玄牝』とは、中国の谷神のこと。生も、死も司る神です。
ちょうど、『もののけ姫』のシシガミ様のように、
いのちを与え、いのちを吸い取る。
生死は常に一対なのです。

あるがままのいのちの記録を見て、何かを感じ取ってほしい。
三輪田学園の高校生にも、ぜひ見せたい映画だと思いました。