中1追分合宿その2 い組

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たま鑑
中1追分合宿第1期の1年は組は、昨日帰京。
今頃、合宿での出来事を思い出しているでしょうか。
それともやり残した宿題に追われているでしょうか?

替わって、昨日の午後からい組の生徒が追分寮に来ています。
い組は、は組以上に賑やかなクラス。
元気さも半端ではありません。
今日は一緒に浅間山周辺の見学とハイキングに行きました。

このところ、軽井沢はお天気がとても良く、日向ではけっこう暑いのです。
といっても、28℃程度なのですが、例年8月も20日を過ぎるとこんなに暑いことはなく、びっくりしています。
しかしこの暑さも何のその、生徒は元気いっぱいです。

朝8時過ぎに寮を出て、追分宿付近でバスに乗り、まず嬬恋郷土資料館へ。
名誉館長の松島栄治先生に縄文土器などを見せていただき、さらに天明の大噴火のお話を伺いました。
1783年天明の大噴火では群馬県側に溶岩流出や土石なだれが発生し、多くの犠牲者がでました。
資料館がある鎌原村も土石なだれにのみ込まれた村です。
唯一無事に残った鎌原観音堂には120段の石段があったという言い伝えがありましたが、現在残ってるのは15段だけ。残りはこのときの土石なだれで埋もれてしまったというのです。
土石なだれで何段が埋もれたかによって、このときの災害の規模がわかる。
そこで、昭和54年に発掘調査を行ったのが、松島先生です。
発掘した方から直に当時のお話を伺えるなんて、めったにありません。
しかも毎年伺っているので、松島先生は三輪田の生徒が来るのを楽しみにしてくださっています。
館内で、また、観音堂の石段の下でお話をしてくだいました。

この発掘の結果、元々の石段は50段であったことがわかり、
さらに、石段の一番下のところに2人の女性の遺体が見つかったというのは有名な話です。
どうやらこの二人は親子で、40歳くらいの女性が、おそらく母親かお姑さんにあたるおばあさんを背負って避難する途中、泥流に呑み込まれたものとみられます。
若い方の女性は、背負っていたおばあさんを見捨てて避難すれば、おそらく階段の上まで駆け上がることができて助かったでしょうが、
それでも見捨てずに背負って逃げた、というところに強い絆を感じます。
自分の命さえぎりぎりのところだというのに、この女性は、なぜおばあさんを見捨てて逃げようとしなかったのでしょうか。
東日本大震災の時、手を取り合って走って逃げていた東北の皆さんの姿と重なって見えました。
「命を大切に、ということですよ」という松島先生の言葉が印象的でした。

続いて浅間山火山博物館へ。天明の大噴火の時にできた「鬼押し出し」で、溶岩流の中をハイキング。

            鬼押し出しでは集合写真も撮りました。


昼食後火山博物館を見学して、今度は峰の茶屋から白糸の滝までハイキング。
急な下りや登りもありつつ、林の中を1時間ほど歩きました。
白糸の滝は、浅間山周辺に降った雨が地層に浸透し、軽石の地層と粘土質の地層との間から湧き出ているもの。
上流に湖などがあるわけではありません。
しかし、その湧水量は多く、高さ3m程ですが、帯状に70m以上の幅で、まさに白糸のように清水が流れ出ています。
今日は8月最後の土曜日なのでけっこう混雑していましたが、
生徒たちは写真を撮ったり、水に手を触れたりして、歓声をあげていました。


…と、ふつうならこの後の帰りのバスは疲れてぐっすり~のはずなのですが、
い組の人々はまだまだ元気いっぱい。
寮に戻っておやつのアイスクリームをぺろりと平らげ、
走って体育館に遊びに行く人が大勢いました。
う~ん、若さですね。
い組の生徒は明後日には帰京し、今度はに組がやってきます。