中1追分合宿その3 に組

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たま鑑
追分合宿第3期のに組は、今日で3日目。
午前中は追分宿散歩に出かけました。

追分宿は中山道の江戸から20番目の宿場町。
江戸から京都まで69宿ですから、行程の約3分の1のところにあります。
江戸時代は本陣と脇本陣が二つある賑やかな宿場だったそうですが、
その後鉄道の駅から離れてしまったため、ずいぶん寂れてしまったようです。
それでも宿場町としての面影は随所に残り、往事の繁栄を偲ばせます。

宿場の入口と出口に設置されている常夜燈には「寛政2年」の文字が。
宿場内の至る所にある石碑や石仏を見ると、その多くが江戸中~末期に造立されていることがわかります。
浅間神社の境内には、かの有名な松尾芭蕉がこの界隈で詠んだという
「吹き飛ばす 石も浅間の野分かな」という俳句の碑があります。
高さ2m以上の巨石に句が刻まれているのですが、この巨石、噴火の時に浅間山から飛んできたとのこと。噴火の威力、恐るべし。

町営の追分宿郷土館では、当時の枡形茶屋の様子を再現したコーナーや、
参勤交代の際に使われた食器類の展示など、様々に工夫されており、
まるでそこだけ江戸時代にタイムスリップしたかのようです。
今年は企画展として、「追分宿と追分節」というテーマで特別展示がありました。
追分節は今の運送業者にあたる馬子たちが、馬の轡をとりながら歌った、のんびりした歌謡です。
館内にはテープが流れ、それを聴いていると、浅間山を見ながら一服している馬子の様子が目に浮かびました。

その後中山道と北国街道の分岐点である「分去れ」へ。
「右はさらしな(更科)、左はみよしの(美吉野)にて、月と花とを追分の宿」
右に行くと月の名所・更科へ。善光寺参りでしょうか。
左に行くと桜の名所・美吉野へ。奈良・京都へ向かいます。
ここまで一緒に中山道を下って来た旅人が、ここで分かれてそれぞれの道へ。
分岐点には、いつもドラマがありますね。

この後、晩年を追分で過ごした作家・堀辰雄の記念館へ。
終の棲家となった家も、きれいに保存されて残っています。

午前中、3時間ちょっと散策して寮へ戻り、お待ちかねの昼食です。
今日は昼食時に桃を自分でむいて食べる日です。
1学期に調理実習はすでに何回かあったので、包丁は持てるはずですが、
さてさて、果物ナイフは上手に扱えるのでしょうか??

は組の頃に比べて、桃は熟して柔らかくなっており、手でむけるものも。
しかしその柔らかさがかえって災いしたか、苦戦して汁だらけになる人もありました。
それでも友達同士協力しながら、どうやら全員桃にありつけたようです。






                   こんなに上手にむけました!

午後からはドッチボール、夜はレクリエーション。
明日帰るぎりぎりまで、楽しい合宿が続きます。