オペラ『蝶々夫人』

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たま鑑
今日は本校講堂でオペラが上演され、中1から高2までの5学年が鑑賞しました。
校内でオペラ。
音楽科の先生方のお骨折りで、この夢のような企画が実現しました。
音響がよく、設備が整った講堂があるからこその企画でもあります。

演目はプッチーニの『蝶々夫人』。
幕末から明治にかけての長崎が舞台の、日本人にはなじみ深いオペラです。
今回の舞台では、物語の重要な役どころとなる下女・スズキを音楽科の大坪晶子先生が演じたほか、
音楽クラブの生徒も衣装をつけて婚礼のシーンの合唱などに参加しました。
また、体育科の長南先生親子も出演。
二重・三重に楽しめたオペラになりました。

         音楽クラブも出演

『蝶々夫人』と言えば、「ある晴れた日に」のアリアが有名ですが、
劇中の至る所に、「さくらさくら」や「宮さん宮さん」などのなじみのある旋律が使われていて、こんな所も日本人好みのオペラといわれる所以かもしれません。
もともとは、アメリカ人の弁護士が書いた短編小説が下敷きになっているとのこと。
蝶々夫人のモデルは、幕末から明治期に長崎で活躍したトマス・グラバーの妻・つるであるという説があるそうです。
グラバーとつるの間に生まれた倉場富三郎は、ペンシルバニア大学で
学んだこともあるというので、何か接点があったのかも…

                ある晴れた日に          

恋愛を仮初めのものとしか考えない軽薄なアメリカ士官と、「名誉のために死ぬ」と歌う一途な蝶々夫人の悲劇を、生徒の皆さんはどう感じたでしょうか。
あくまで、物語の世界、としてですが。

幕末から明治にかけて、外国人居留地には「洋妾(らしゃめん)」といわれる女性が多数いたそうです。
外国人の将校や大商人と結婚の約束を交わし、生活をともにするのですが、
彼女たちはあくまで仮初めの結婚と割り切っていて、
蝶々夫人のように真実の愛を捧げた女性は多くなかったようです。

このオペラを見ると、いつもアメリカ士官・ピンカートンの身勝手さに腹が立ち、一方で蝶々夫人のあまりの純粋さに驚きます。
劇中では蝶々夫人は15才の設定になっていますが、
あの時代の女性なら、もう子ども扱いはされない年頃。
でも、今の中学3年生、ですよね。

ついでにいつも思い出すのが、シーボルトと楠本瀧のこと。
この二人の関係もシーボルトが長崎にいる間だけでしたが、
シーボルトは帰国後も瀧のことを思い出し、紫陽花を「オタクサ(おたきさん)」としてヨーロッパに紹介したことも知られています。
帰国後結婚していますから、シーボルトも日本にいる間だけの仮初めの結婚と考えていたはずですが、
でも、日本の最高の思い出の一つとして、瀧と、娘のいねのことは忘れられなかったのでしょう。

女性が自由に生き方を選べなかった時代。
今を生きる私たちは、自分の意志で生き方を拓いていくべきだと思います。