【PC特別委員会】谷川俊太郎

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三輪田の風
唐突ですが、みなさんは「谷川俊太郎」という人物を知っていますか?

iPadで「谷川」とうつと予測変換で出てくるくらい有名な詩人です。
最近中2の国語の授業で班ごとに詩人について調べ、発表しました。

私のいる班で調べた詩人こそが「谷川俊太郎」。

レジュメ作成、発表、資料まとめ等の仕事を分担してやったのですが、私が担当したのは原稿の作成です。
頑張って書いてみたので読んでみてください!(↓)

「えー、詩人とか興味ないー」「谷川俊太郎って誰?」な人もぜひ。また、2年は組で実際にこの発表をきいた人も、内容を削る前のfull ver.なので楽しめると思います。


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私たちは「谷川俊太郎」について調べました。


(まずレジュメの「経歴」を見てください。)
谷川俊太郎は1931年にここ東京の地で生まれました。哲学者の父、徹三と母の多喜子の間に生まれた一人っ子です。
幼少時代は北軽井沢で過ごし、小学校は地元、杉並区の学校に通いました。ですがその時から俊太郎には学校が楽しかった記憶はないといいます。
資料にも手を繋ぎたくない子と手を繋がされるのが嫌だった、とありました。端から見ると強いプライドやエリート意識を持っていたように見えたそうです。
中学校も地元の学校へ。この頃から空襲がだんだん激しくなっていき、母とともに京都府へと疎開します。ですがそこでも学校には馴染めず、不登校になってしまいました。
そして1948年、ここでクラスメート、北川幸比古の影響で詩を書きはじめるようになります。校友会誌「豊多摩」には4篇も詩を発表しました。これから書きつけ始めた3冊のノートがデビューのきっかけとなります。
でも学校嫌いは収まるどころかよりいっそう激しくなっていき、大学には進学しなかったそうです。
けれどノートの詩が最も精力的に書かれたのもそれと同時期で、1950年の12月には詩人、三好達治に「文学界」という本に紹介されました。
そしてついに1952年には授業で習った「二十億光年の孤独」が刊行されます。
それからは幼なじみの岸田衿子(えりこ)と付き合い始めたり、多くの詩を書いたり、ドラマを書いたりと比較的楽しい日々を過ごしたといえます。衿子は「アルプスの少女ハイジ」などの作詞者として有名な人です。4年後衿子とは離婚してしまいますが、その翌年には大久保知子とすぐ再婚しました。
1962年には29歳という若さで第4回レコード大賞作詞賞を受賞し、これが初の受賞経験となります。
それからも絵本を作ったり、歌詞を作ったり、スヌーピーをはじめ数々の翻訳をしたりと多彩な方面で詩人としての本領を発揮しました。家庭面でも佐野洋子に浮気してしまったりしたようです。因みに佐野洋子とはあの「100万回生きたねこ」の作者でした。
不登校だったり空襲にあったり、何度も結婚をしたり何度も賞を受賞したり、波乱万丈な人生であったといえます。

(次にレジュメの「受賞歴」を見てください。)
俊太郎は先ほど述べたように1962年にレコード大賞作詞賞受賞したほか、そこに並べて書いているように「マザー・グースのうた1・2・3」「日々の地図」「よしなうた」など数多くの賞を受賞しました。
今年2012年も「iPhoneアプリ 谷川」では電子書籍アワード2012 文芸部門 部門賞を、「DVD 谷川俊太郎」では優秀映像教材選奨 教養部門 最優秀作品賞を受賞しています。まだまだ活躍を見せている詩人です。

(次にレジュメの「現代詩」を見てください。)
現代詩とは、20世紀初頭に生まれ、近代詩が扱わなかったタブーへの切り込み、日常とかけ離れた言葉を使う詩のことです。欧米ではウィリアム・バトラー・イェイツやT.Sエリオックらにより創始されました。日本では戦後より盛んになります。
第一次世界大戦後の大正後期、西欧のシュールレアリズム、日本語でいう超現実主義、の影響を受け、モダニズムと呼ばれる運動が起こり、昭和に入ると詩誌を中心に非現実的な世界をうたう詩が現れました。モダニズムとはmodernism、伝統的な芸術観や権威を否定し、破壊しようとする虚無的なダダイズムを経て超現実主義に向かい、従来の詩の形式や概念を打ち破ろうとする傾向をいいます。現代詩には西脇順三郎、安西冬衛、北川冬彦などがあります。
その後、詩誌「四季」によった三好達治、中原中也、立原道造、丸山薫、伊藤静雄らが多様な活動を示しました。また、詩誌「歴程」では草野心平が、モダニズムの系統では村野四郎が活躍しました。戦後は鮎川信夫、黒田三郎、四村隆一らが詩誌「荒地」を中心に、戦争の現実に直面していこうとする姿勢を見せる一方で、西欧の詩のように韻律を重んじる加藤周一、福永武人、中村真一らのマチネ・ポエティクのグループが話題を呼びます。少し遅れて詩誌「櫂(かい)」が刊行され、川崎洋、茨城のり子、吉野弘、そして谷川俊太郎らが同人として活動しました。

(次にレジュメの「谷川俊太郎 詩の特徴」を見てください。)
谷川俊太郎の詩は、本当なら日常茶飯事に転がっているエッセイや日記に書き記すような詩の主題はもちろんのこと、文学表現の主題としても少しも重くはないことを選んでいるところにあります。主張はしていませんが、小さな何でもない主題こそが人間性にとって重要なのだという価値観を信念としてもっていると思えます。この詩人の真にすごいところは、散文脈の意味性から離れずに、なおかつ詩の言葉の可能性を広げるという離れ業をやってのけているところです。
現代詩を論じる他の詩人や評論家たちが見落としていた詩のなかにも、読む者に何かを感じさせるものがあり、他の詩人たちにはできない、読者を獲得する力を、この詩人は持っています。

(最後にレジュメの「鉄腕アトム主題歌」を見てください。)
一度くらいはきいたことがあるでしょうか。山手線の高田馬場でも流れる曲。
歌なこともあり、たくさんレトリックが使われています。
「ラララ」「アトム」「ラララ 科学の子」が1~3番全てで共通して反復されています。そして番ごとの最後のフレーズ、「十万馬力だ 鉄腕アトム」「七つの威力さ 鉄腕アトム」「みんなの友だち 鉄腕アトム」が対句されています。そして番ごとの3行目、「心やさし」「心正しい」「心はずむ」で韻がふまれています。鉄腕アトムはそもそもの設定がロボットなのでどこまでが比喩なのか擬人法なのかはわかりませんが、反復、対句、押韻が少なくとも使われているようでした。


これで発表を終わります。

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長い文章読んでくださり、ありがとうございました。
詩とか短歌とかいうものは小説などと違って手にはなかなかとりづらいようなものですが、詩は読んでみると意外にそうわけのわからないものでもありませんでした。「なんだこの詩何言いたいのか意味わかんない」みたいなものでも不思議と何度読んでも飽きないものです。
次の授業からやりはじめた小林秀雄著の「美を求める心」には詩についてこうありました。

歌人は、言い表し難い感動を、絵かきが色を、音楽家が音を使うのと同じ意味合いで、言葉を使って表そうと工夫するのです。なるほど、詩人の使う言葉も、諸君が日常使っている言葉も同じ言葉だ。言葉というものは、勝手に一人で発明できるものではない。歌人でも、皆が使って、よく知っている言葉を取り上げるよりほかはない。ただ、歌人は、そういう日常の言葉を綿密に選択して、これをさまざまに組み合わせて、はっきりした歌の姿を、詩の型を作り上げるのです。すると、日常の言葉は、この姿、形の中で、日常、まるで持たなかった力を得てくるのです。

だそうです。まさにその通りといった感じがします。

詩って凄いんだなー。

そんなことを思った国語の授業でした。