震災から2年

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たま鑑
今日は、東日本大震災から2年目の日。
期末考査が終わったばかりなので、登校している生徒は補習や部活などがある生徒だけです。

あの日も全く同じで、地震が起きた午後2時46分、在校した生徒は342名でした。
ちょうど今頃(現在3:30)は、最初の点呼を取り終わった頃。
校内に破損箇所やけが人がないことを確認し、緊急メール第一報を配信し、HPに生徒の安全を表示した頃でした。
私は情報の確認と今後の方針を決めるために走り回っていましたが、
今思うと、本当に冷や汗ものです。

おそらく同じ頃に、石巻の大川小学校の先生方も校長不在の中で避難の判断を迫られ、そしてその結果、多くの児童や先生が命を落としました。
このことを人は「石巻の悲劇」と呼び、
逆にほとんどの児童が助かった釜石の小中学校を「釜石の奇跡」と呼んで賞賛します。
「釜石の奇跡」は日頃の訓練の賜物。
訓練の指導にあたった群馬大学の片田先生から直接お話を聞くことができたので、このことは三輪田でも活かさなくては、と肝に銘じています。

大切なお子様を失った保護者の皆様のお気持ちは、察して余りあるものがあります。
しかし、私は大川小学校の先生方を判断ミスとして責めることはできないと思っています。
なぜなら、迫り来る津波を前にした先生方の緊張感を、容易に想像することができるからです。

電車が止まって帰宅困難となった生徒をどうするか、という判断だけであれだけ緊張し、生徒に不安を抱かせないよう動揺を隠すのに精一杯だった私。
他の先生方や事務室の方々、生徒たちの協力があって、無事に一夜を過ごせたようなものでした。
もし、私が大川小学校の校長だったら、別の避難指示を出しただろうか…

あの時の体験をもとに、今、三輪田では防災意識の向上に取り組んでいます。
備蓄品を増やすだけでなく、生徒や先生一人一人が、万一の時に主体的に動き、自分の命を守り、他の人の命も守る行動がとれるように。
そして私自身も、より的確な判断ができるように知識を増やしていかなければなりません。

津波による被害からの復興は遅々として進んでいません。
原発事故の被害に関して言えば、現在進行形です。
離れたところにいる私たちも、どんな形にせよ継続的な支援に関わって行かなければならないと強く思っています。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。