3学期終業式

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たま鑑
今日は3学期終業式。
朝から春の到来を実感させる暖かさです。

8:45に講堂に全校生徒約1000名が集まりました。
久しぶりに全校生徒が揃ったところを見るのは壮観です。

余計なことですが、我が家の息子は男子校に通っていました。
(もう社会人ですが…)
その子の高校卒業式の時の圧迫感を思い出しました。
黒い詰め襟の男の子が1500名。ううっ…というかんじでした。
その点、女子1000名はなんて爽やかなんでしょう。
式の時は前方から中1・中2…という並びで座っているので、
舞台に立つと成長する様が手に取るようにわかるのです。

それにしても、4月にはひよこだった中1さんたちも、すっかり成長して来ました。大勢が集まる場での振る舞い方も落ち着いてきました。
中2も中3も、高1も高2も、それぞれがいろいろあった一年だったでしょうが、皆、晴れ晴れした笑顔に見えました。
高3生はまだ受験結果を待つ人もいるのですが、すっかり落ち着いていて、明後日の卒業式を待つばかり…という様子が見て取れました。

私は、それぞれの成長を見届けながら、この場に立つことが大好きです。




今日の式辞では、台風や大雪など自然災害が多かった今年度に関連して、
先日高2の期末テストで出題された『意識は実在しない(河野哲也著)』の一部を紹介し、自然と人間のこれからの関わり方について話しました。

ガリレオ、デカルトに始まる近代科学は、ニュートンによって確立されます。
近代科学では、中世の自然観のもつ神秘性や精神性を否定し、自然は個性のない粒子が反復的に法則に従っている存在と捉えます。
機械論的自然観と原子論的な還元論によって、自然は法則と原子によってできており、それこそが自然の真の姿だと示したのです。
この自然観こそが、意志や個を持たないものとして自然を改変し操作するテクノロジーを生み出し、同時に生態系を壊したのではないか。
環境問題の根底にあるのは、実はこの近代的自然観ではないか、と著者は論じています。

科学の発展は人間の必要性や快適性を求めて進められてきたものですから、
それ自体を否定することはもちろんできません。
科学の発展によって発生した問題は、科学の力で解決していけばよいという考え方もあるでしょう。

しかし私は、地球上の大半のニッチ(存在空間)を占める人間という種が、地球そのものをテクノロジーによって改変できると思うことにちょっと疑問を持っています。
「エコノミー」と「エコロジー」、同じ「エコ(ギリシャ語のオイコス=家)」を持つ言葉なのに、一方は人の経済的営みを、一方は自然を優先した考え方を指すのは、何だか皮肉です。

近代科学の上にある人と自然とのつきあい方、
これからの時代こそ、
もっともっと真剣に考えて行かなくては、と思っています。
環境教育のポイントの一つです。