南相馬からのたより 2

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たま鑑
卒業生のMさんは、看護師さんです。
都内の病院に10年勤めたところで突然南相馬の病院に転勤。
そこら辺の事情は以前もブログに書きました。
「自分にも何かできることがあるかもしれない」
その行動力に脱帽です。

Mさんは時々メールをくださるのですが、いつもしみじみ考えさせられてしまいます。
私だけが読むのではもったいないので、ぜひ、皆さんにも読んで頂きたいと思い、ブログに掲載します。(Mさんの了解済みです。)
Mさんの強い思いが伝わってきます。

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 福島も少しずつ、夏の兆しが見え始めました。やっと半袖を着るようになったのですが、まだ夜は羽織る物がないと寒いです。
先日、職場の人の家に招待され、その人の家族の食卓にいれてもらいました。その人の家はすぐそばまで津波がきたということで、100メートル先は、もう何もないのです。その人は普段はとにかく明るい人なのに、3/11の話をしてる時は泣いてしまうのです。そして、「こんなところに遊びにきてくれてありがとうね。こんな津波の跡が生々しくあって原発に近いとこなんてみんな来たがらないの。だから来てくれるだけで嬉しい。震災で私の家族はみんな無事だったけど、時々自分が助かったことが申し訳なく思う時があるの。」と。普段いつも笑ってるこの人から出た言葉がすごく突き刺さりました。私は、ただ話をきいて、泣くことしか出来ませんでした。
そして、原発と津波で避難区域となり誰も住んでいない小高町を案内してくださいました。福島は、他に比べて原発の影響で復興が遅れてて、今も震災当時のままのところがたくさんあるのです。誰も住んでいない町は静かでした。
写真、何枚か送ります。三輪田の子達にも、みて欲しい、知ってほしいと思います。
がれきがそのままであること、流された船、そして教室の写真は小高第一中学校です。震災で今は他の場所で校舎を借りて授業しているとのことですが、当時のままです。











 
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 目の前にないものは、日々の記憶の奥底にどんどん埋没していきます。 
それが厳しい現実であればあるほど、目を背けたいのです。
ワールドカップの喧噪の蔭で、忘れ去られているこのような現実や、
逆に息を潜めながら着々と進行しているものに、しっかり目を向けていないと、
私たちは真実を見失うことになります。