中1追分合宿 い組

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たま鑑
昨日から中1の追分クラス合宿が始まっています。
まず最初は、い組。
一人体調不良で残念ながら来られませんでしたが、元気な生徒42名が寮で生活しています。

2日目の今日は浅間山周辺の見学の日。
朝からバスで浅間山に向かいます。
まず最初の見学地は、群馬県側に抜けて、嬬恋郷土資料館です。
この資料館は、天明3年の浅間山大噴火のとき、土石なだれによって壊滅的な被害を受けた鎌原村にあります。
資料館の隣にある観音堂は、その噴火の日、生死の境を分けた場所。
ここまで逃げ延びてこられた人だけが助かったのです。
この資料館では、観音堂の階段の発掘調査にあたった松島栄治先生にお話を伺います。
現在15段しかない観音堂の石段が、もともとは何段あったか調査するということは、災害の規模を特定するためにはとても重要なこと。
実際に発掘なさったときのご苦労や、二人の女性の遺体を発見したときの驚きなどを直に伺うことができました。
また、今年は資料館と観音堂だけでなく、少し集落の中を歩き、
鎌原村のメインストリートにあたる所まで案内していただきました。
昭和初期の鎌原村の写真には、道の中心を小川が流れるのどかな宿場の様子が見て取れました。
天明の大噴火から150年ほどの、復興なった町並みです。
しかし、この写真のような賑わいを取り戻すまでに100年以上の歳月が必要だとしたら、人の寿命に比べ、あまりに長い時間です。
しかも、今の鎌原村は、天明三年の噴火により堆積した5~6mの土砂の上に復興されたのです。
これって、被災前の生活はなかったことになってしまう、ゼロからやり直し、ということ?

ふいに、一昨日未明の広島の土砂災害のことを思い出しました。
広島の被災者の皆様の復興はどうなるんだろう。
それは東日本大震災の被災地も同じですね。
技術の進歩により、災害復旧のスピードが江戸時代とは比べるべくもないのはもちろんですが、
家族や家を突然奪われた人々の悲しみや苦しみは今も同じはず。
被災された方々の力になれることがないだろうか… などと考えてしまいました。

さて、続いて鬼押し出しの現場を見るために浅間園へ。
溶岩流が形成する奇妙な景観の中を、展望台まで散策。


昼食後は、峰の茶屋から白糸の滝までハイキングです。
今日は軽井沢といえどもとても暑く、途中で気分場悪くなり、
バスで待機の人も一人出てしまいましたが、
ほかの41名はなかなかいいペースで白糸の滝まで歩ききりました。
滝付近の涼しかったこと!
寮に戻って食べたアイスクリームは、まるで甘露のようでした。

私は日曜日の東京フォーラムの私学展に出るため、明日いったん東京に戻りますが、火曜日からまた追分にやってきて、残りの31日まで、中1合宿におつきあいします。
この間、足早に去っていく軽井沢の夏と、入れ替わりの秋の気配を堪能できると思います。