スーパーグローバル大学に思う

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shin-no-michi
 少し前のことですが、9月に発表されたスーパーグローバル大学(前々回のブログでも少し紹介しましたね)の採択校の顔ぶれを知っているでしょうか。
 大方の予想通りに、世界大学ランキングの100位以内を目指す「トップ型」には、旧帝大を中心とする難関国立大学と私大の雄である早稲田・慶応が採択されました。
(ちなみに旧帝大とは、戦前の帝国大学からの長い伝統を持つ、東大・京大などの国立7大学のことです。)
 一方で、これまでの実績に基づいて更に先進的な試みを続け、我が国の社会のグローバル化を牽引するという「グローバル牽引型」の方はいささか様相を異にしていたようです。いわゆる難関大学で、社会的には国際化・グローバル化に意欲的だと思われている大学のいくつかが採択漏れとなったのです。(詳細は以下のリンクでどうぞ。)
http://www.jsps.go.jp/j-sgu/

 そもそもスーパーグローバル大学とは何でしょうか。簡単に言うと、文部科学省所管の独立行政法人である日本学術振興会が行っている大学の支援事業です。公式サイトによれば、「『大学改革』と『国際化』を断行し、国際通用性、ひいては国際競争力の強化に取り組む大学の教育環境の整備支援を目的」とし、具体的には「トップ型」で4~5億円の、「グローバル牽引型」で1億7千~3億円の補助金を出すというものです。もちろん大学の提出したグローバル化への事業計画を審査し、採択された事業に対して出される補助金ですから、大学が好き勝手に使えるわけではありません。

「名前に『国際』や『グローバル』が付いただけで、その学部学科の偏差値が3くらい上がる」。こんな言葉が冗談にならないくらい、大学受験でも「国際系」の学部学科が人気です。そういう状況の中で、億単位の補助金とスーパーグローバル大学の「看板」は大学にとってもありがたいものでしょう。実際、このことを広報に使っている大学も少なくありません。大学選びの基準(の一つ)になる日が来るのかもしれませんね。

 ただ、少し気になることもあります。一つは、「選ばれた大学はスーパーグローバルで、漏れた(申請しなかった)大学はそうではない」というイメージが定着してしまうのではないかという懸念です。
 今回あえて申請しなかった大学の一つに東京理科大があります。学長がその理由について日経産業新聞のインタビューに答えていたのですが、色々考えさせられる内容でした。詳細は書きませんが、外国人教員数・留学生数(日本人・外国人とも)や英語での授業などを「数値目標」として提出しなければならない今回の事業に、大学として割けるリソースは(人も金も共に)ないとの判断だったようです。
 採択校は定期的な評価も受けなければなりません。補助金をもらう代わりに、日本学術振興会(文科省)の意向に沿った教育を継続する義務を負うとも言えます。大学独自の教育理念やシステムという観点からすれば、今回の採択校以外でもグローバル化・国際化に十分対応している大学はたくさんあるはずなのです。

 もう一つは、「トップ型」に採用された大学のうち、「国際」や「グローバル」を冠した学部を持つ大学はわずか2校しかなかったことです。大学としての総合力を問われる「トップ型」だからなのかもしれません。しかし、グローバルな人材を育てる(グローバルな人材になる)には、必ずしも国際系・グローバル系の学部学科である必要はないということを暗示しているような気もしています。
 例えば、日本文学科で源氏を学んだ学生が、そのすばらしさを発信するために大学共通のシステムで実践的な英語力を身につけ、イギリスの大学に留学する。政治学科で地方行政における外国人問題に興味を持ち、移民大国アメリカでの大学院進学を目指す。経営学科で学ぶサッカーフリークが、プロスポーツチームの経営に関わるためにスペインリーグやプレミアリーグの研究を卒論に選ぶ。看護師として働く中で移植医療の問題に目覚め、資金を貯めて渡米し、移植コーディネーターの勉強をする(これは、本校の卒業生の実例に近いですね)。……みんな「グローバルな人材」ではありませんか?

 国際・グローバル系の学部学科が、グローバルな人材を育成するためのカリキュラムを組んでいることは確かです。しかし、それは絶対条件ではありません。その学部で、その大学で何ができるか。そもそも自分はグローバルな環境の中で何をしたいのか。イメージだけで進路選択をしないというのは、意外に難しいことなのです。