グローバルよりグローカル

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たま鑑
昨日から冬休みスタート。
2週間ちょっとの休みですが、クリスマスやお正月など楽しいイベントがたくさんある時期です。
家族や友達と楽しい思い出を作る休みになってほしいと思います。
でも、冬休みは正式には冬季休業。授業がないだけで、休暇ではないのですから、生徒の皆さん、そこのところ、お忘れなく。
1月の休み明けにはテストがありますよ。

さて、20日土曜日には2学期終業式が行われました。
この時の式辞では、中学生にはちょっと難しいかなと思いつつ、こんな話しをしました。

一つは、日本の社会が進もうとしている方向性について。
今年の漢字が「税」であったように、また、年末総選挙の争点が結局アベノミクスの賛否という経済中心のものだったように、この国は国家の経済戦略中心で動き、これからもそれが加速して行くのでしょう。
すると「勝ち組」「負け組」の二極化が進み、勝ち組になりたい人々は他の人を踏み台にしても…ということになるでしょう。
日本は、GDPは高くても、心貧しい国になってしまうのでしょうか。
この話を考えるとき、いつも思い出すのは、震災の年に来日した、ブータンのワンチュク国王のことです。「国内総生産より国民総幸福度をあげる」とこの若い国王が語ったことは有名です。
ブータンの「質素で謙虚な生活」は、もはや日本の中にはなくなってしまった価値観ですが、経済力を上げることに躍起になっている政権や財界に、ちょっと考えてほしい言葉ですね。

もう一つは、様々な価値観を持つものを認め合おうと言うこと。
マララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞受賞は素晴らしいことだし、マララさんの勇気と行動力にも称賛を惜しみません。
しかし、17歳の少女に欧米的価値観でこの賞を与えることは、むしろ彼女のこれからの活動の障害となりはしないか、ということです。
マララさんの生まれたパキスタンやイスラム圏の人々は、キリスト教文化圏と違う価値観を持っています。キリスト教文化圏=欧米目線で受賞が決定するのは、イスラム的価値観を否定することになりはしないでしょうか。
ここのところをしっかり理解していないと、マララさんの行動は意味のないものになってしまうのではないでしょうか。
ましてや、マララさんは17歳。これからの人生を「ノーベル平和賞受賞者」として生きていくのです。

個人レベルでは、「みんなちがって、みんないい」が理解できるのに、国家レベルになるとそれを認めない。
私には、このところの「グローバル化」が「=欧米化」であるように思えます。(日本もこの中にいますね)
それぞれの国や地域には、そこに住む人たちの伝統や信仰・文化、それに基づく価値観があります。

「グローカリゼーション(グローカル化)」という言葉をご存じですか?
「グローバル」と「ローカル」の合成語で、世界的視野に立ちながら、地域の価値観や文化を踏まえてその地域にあった形での改革をすすめるという考え方です。これからの世界、もっとグローカル化を進めることにこそ、発展の余地があると思うのですが。

来年は「グローバル」より「グローカル」。
「みんなちがって、みんないい」をグローバルに共有できる年になりますように。


                 今年ご縁ができた先生から頂いた可愛らしいクリスマスカードです