追分寮生活 その3 追分は今日も雨だった…

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たま鑑
は組の第3日目。
昨夜から雨が降り始め、朝には本降りに。
ラジオ体操も外ではできず、玄関ロビーで手を縮めながらなんとか行いました。
今日は追分宿の散策に出かける日ですが、あいにくの雨で、傘をさしての散歩になりました。

三輪田学園の寮から追分宿跡までは徒歩15分。
追分宿は中山道でも有数の規模を誇った大きな宿場でしたが、明治になって信越本線の駅(信濃追分駅)が宿場から2km以上離れたところにでき、また、外国人の避暑地として開けた軽井沢宿の方が人気が出たこともあって、今は昔の賑わいは全くありません。
しかし全国に広がる追分節の発祥地であったり、街道筋の町並みがまだ残っていたり、それらをまとめた郷土資料館が造られているなど、江戸時代の交通や流通を知るためにはとても貴重な場所になっています。
国道18号線から宿場に入る分岐点には、寛政年間に作られた石の常夜灯があり、そこにはこの常夜灯を作るために寄進したこの宿の旦那連中の名前がびっしり刻まれています。これを見るだけでも、この宿のかつての賑わいが想像できます。

追分とはそもそも、街道の分岐点のこと。ここ追分宿は北国街道と中山道との分岐点に当たります。
追分宿郷土館では、北陸新幹線開通を記念して、北国街道と中山道を通って参勤交代していた加賀前田藩の道中のようすが特集されていました。
金沢から江戸まで、往路は11泊、袋は9泊といいますから一日で34~5km歩く計算になります。これはすごい。
行列も総勢2000~4000人になったということで、驚きです。
学芸員の方から丁寧に説明をしていただいたのでとてもよくわかり、
藩士の苦労や宿場の対応の大変さなどが想像されました。

この後、近くにある堀辰雄文学記念館へ。
小説家・堀辰雄が晩年を過ごした家が保存・公開されています。
一昨年ヒットした宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」の設定の一部に、堀辰雄の同名の小説が使われてから、この静かな文学館も多くの人が訪れるようになりました。
雨のため全体での記念撮影はできなかったので、2つのグループに分けて記念写真を撮りました。




続いて、今も残る中山道と北国街道の分岐点「分去れ」へ。
 
 更科は右 み吉野は左にて 月と花とを追分の宿

分去れの古い子持ち地蔵像の台座に、優美な筆致で掘られていました。
東京~京都間、今なら新幹線で2時間ちょっとですが、街道を自分の足で一歩ずつ歩いて目的地に向かう昔の旅も、すてきだったに違いありません。
目的地に早く着き、そこでの過ごし方が主眼になっている今の旅行に比べ、旅に出ること自体が一生に一度か二度の楽しみだった時代です。
旅程は大変でも、そこに至るまでの苦労が期待に変わり、目的地に到着したときの喜びは倍増したのではないでしょうか。
「早く、どこへでも」は確かに大切ですが、そのためにそぎ落としたものも大きいように感じました。

寮に戻って昼食を食べると雨は上がり、生徒たちは元気に体育館へ走っていきました。