読書の秋

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たま鑑
10月も下旬となり、すっかり秋の様相になりました。
外濠公園の桜の葉も、黄色く色づいています。
学校は中間考査の真っ最中。
今年は三輪田祭が早かったので、中間考査まで時間があり、しっかり勉強できたはず。
さて、結果はいかに?

生徒の皆さんは中間考査が終わるまで読書どころではないかもしれませんが、
テストが済んだら、秋の夜長、ぜひ書に親しんでもらいたいものです。
私は活字中毒のようなものなので、大抵読みかけの本を持っています。
今は、宮大工の「親方」・小川三夫さんの聞き書きエッセイ『不揃いの木を組む』を読んでいます。
小川さんは法隆寺の再建で有名な西岡常一さんのお弟子さんで、鵤工舎を設立して多くの後進を育ててきました。
師匠の西岡さんのエッセイもそうですが、この本も、宮大工というより「人を育てる」ことに深い洞察をお持ちの方の金言として読んでいます。
この本を読んでいると、考えさせられることがたくさんあります。

例えば、「器用さ」について。
器用な人は、色々な意味で人から褒められたり、多様なことをこなしたりできます。
一般社会や学校の中では、「器用であること」はプラスな資質ということができます。
しかし、「一生食える職人を育てる」という観点からは、器用であることはマイナスな資質であるというのです。
10年もかかる修行の日々で壁にぶち当たり、もうだめかもしれないというときに、器用な人は頑張れない、と小川さんは言います。

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器用なやつに本当の根性はないだろうな。
我慢する、耐えなければならないときに、器用なやつは器用に他のことを考えるからだ。
肝心なときにも、他のことを考えてしまうんだよ。決して建て直そうとは思わないんだ。器用だと、やはり楽な方を選ぶな。またそれを器用って言うんだな。                 (本文より)

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「遅くたって、不器用だって、同じことを一生懸命打ち込んでる方がいいんや。」という小川さんの言葉は、今の教育とは全く違う価値観を示されたようで、ドキッとしました。
これからの大きな変化が予想される社会の中を、器用に泳ぎわたれる子がよいのか、不器用でも流されないどっしりした物をもっている子がよいのか、悩むところです。

でも、三輪田は130年間不器用に変わらぬ信念を持ち続けてきた学校だと思います。
ここで6年間を過ごした子どもたちが、促成栽培のように短期間で花を咲かせることだけを目指すのでなく、
ちょっと時間がかかっても、しっかりと大きな花を咲かせる根っこや葉や茎を育てていくことが、三輪田の教育なのだと思います。


こういう本を読みながら、立ち止まって考える。
答えはすぐに出なくても、もやもやと心のどこかにひかかっていて、
答えを探すためにまた新しい読書を始める。
この循環は、三輪田の6年間で私の身についた習慣です。