伊予人 三輪田眞佐子

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先日、松山のタウン誌のライターさんから、三輪田眞佐子先生について特集を組みたいのですが...とご連絡を頂きました。

私たちの学園の創立者・三輪田眞佐子先生は京都のご出身ですが、

結婚後、夫の実家のある松山に移り、学園の初めになった明倫学舎を開きました。

眞佐子先生の夫・三輪田元綱氏は幕末の勤王の志士で、松山の日尾八幡の宮司の末弟。

宮司である長兄は三輪田米山といい、松山では書家として有名な人でした。

松山での眞佐子先生の暮らしは多忙を極め、

寄宿生の世話や愛媛県師範学校へでの出向授業、帰宅後すぐに明倫学舎の授業と、寝る間を惜しんで働いたそうです。

眞佐子先生ご自身、「長い生涯で僅かでも人に誇れることがあるとすれば、夫の死後における松山での奮闘時代」と語っていらっしゃいます。

その後、ご子息の教育のために上京してしまうので、松山時代は9年ほどでしたが、

明倫学舎の評判と眞佐子先生の奮闘は、充分「伊予人」としての評価に値すると思います。

タウン誌のライターさんからご連絡を受け、三輪田勉前理事長にも資料を頂いて、記事のお手伝いをしました。

記事は、コンパクトに、しかも丁寧に眞佐子先生について描いてくださっており、感激です。

昨日、その記事が掲載されたタウン誌が送られてきました。

先生方の分も注文しておいたので、職員会議で配布。

これから三輪田をもっと好きになる「三輪田学」を進めていきたいと思っています。

ところで、あとでライターさんに伺ったところ、このタウン誌を読んだ方が編集部に連絡をくださったとのこと。

80才を過ぎたご婦人で、三輪田の卒業生と仰っていたそうです。

三輪田の同窓会・松操会は、日本各地に支部があるので、四国支部の会員の方だったのでしょう。

早速、松操会の常任委員会でお披露目しました。

これも三輪田で「つながる」。

もっともっとつながって、ミワダ・プライドを広げたいですね。

記事はこちらからご覧頂けます。

http://www.dcity-ehime.com/ebook/hyakuten/

松山百点 霜月(11月号)P・20です。

ところで、前回のラピュタのロボット兵は、英語科のM先生が持っていらしたものとわかりました。

よかった。ミワダの上空にラピュタがあって、そこから落ちてきたのならどうしようと思っていました。