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明日は開校記念日

三輪田の風

三輪田の風

大変な毎日が続いていますが、生徒の皆さん、変りはありませんか?

オンライン授業には慣れてきましたか?

高3の生徒の何人かから、こういう時、オンライン授業でも勉強ができるのはありがたい、と温かい言葉をもらいました。

やはり三輪田の子はいいなあと感激。

プリントとワークブックだけの自習ではなく、先生の顔を見ながら授業が受けられるところを活かしてくださいね。

さて、明日は4月25日、三輪田学園の開校記念日です。

三輪田学園の創立者三輪田眞佐子先生は、江戸末期に京都で生まれました。

父親が漢学者だったので、子供のころから漢学の勉強に励み、父親の代わりに講義もしたとのこと。

また、梁川星厳など当時の一流の学者に師事して学問を磨きました。

岩倉具視の子女の教育を担当したり、御所で皇后に和歌の添削をしたりしていたころに、三輪田元綱という方と結婚しました。

元綱氏は明治政府の役人になりましたが、じきにやめてしまったそうです。

元綱氏の故郷は伊予(愛媛県)の松山で、官を辞した後家族とともに故郷に戻り、そこで亡くなってしまいます。

眞佐子先生は幼い子供を抱え、松山でこれまで培った知識を活かして私塾・明倫学舎を開きました。

この塾で生徒を指導するかたわら、眞佐子先生は愛媛県立の学校の授業をおこなったり、教育者として積極的に活動していました。

やがて、一人息子の元孝さんの教育のために東京に出ていく決心をし、1887年、現在の神保町近くに翠松学舎という塾を開きました。

最初は男子部と女子部とあったそうですが、女子教育の大切さを痛感した眞佐子先生は男子部を閉め、女子だけの学校に。

これが現在の三輪田学園のはじまりです。

このあと、現在の場所に移り(法政大学より先に三輪田が九段の地にできました!)、

三輪田女学校、三輪田高等女学校を経て、現在の三輪田学園中学校高等学校になりました。

開校記念日の4月25日は、1903年に三輪田高等女学校として当時の東京府から正式に認可された日だそうです。

東京の私立の高等女学校としては、日本女子大学付属に次ぐ2番目だったとのことです。

本当だったら、もっともっと詳しい学校の歴史を、今日・明日の中1オリエンテーション合宿でお話しする予定でした。

中1の皆さん、学校が開始できたら、たっぷりお話しさせてくださいね。

関東大震災や、第二次世界大戦の空襲で学校が丸焼けになったり、133年の間には様々な苦労があったことでしょう。

そして今も、そんな学校のピンチです。学校、というより、社会全体の緊急事態ですね。

このピンチを、みんなで協力し合って乗り切っていきましょう。

明日から、また三輪田学園の新しいページが始まります。

学校が開始できたときにみんな笑顔で再会できるように、今はがまんしつつ、頑張りましょうね。