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帰去来の辞

たま鑑(たまかがみ)校長ブログ

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帰去来兮 田園将蕪 胡不帰
…で始まる陶淵明の「帰去来の辞」を、高校の漢文の授業で習いました。
陶淵明が官を辞して帰郷する際の詩ですが、そのときはなんだかピンとこないと思っていたものが、三輪田で40年過ごした今、現実味を帯びて迫ってきます。

お陰様をもちまして、本日を以て私は校長を退任します。

私は三輪田の卒業生ですので、生徒は全員私の後輩。教員と生徒というより、かわいい後輩を見るつもりで40年過ごしてきました。

思えば実にいろいろなことがありました。

最初に卒業生をだした卒業式の日は地下鉄サリン事件の日で、本校生徒に被害はなかったものの、大変な事件だったと後から知りました。この時の卒業生はもうすっかり大人になっていて、お子さんが三輪田に入学という方もいます。

夏休みといえば追分合宿。今はもう使われていない追分寮で、例年10日間位は過ごしていました。仕事の合間に追分宿まで散歩に行ったり、中1の生徒と一緒に浅間山の麓、鬼押し出しなどにハイキングに行ったことも楽しい思い出です。

三輪田の修学旅行は中学広島、高校関西。

「海外に行きたい!」という生徒の意見を押さえて、頑なに守り続けているのはもちろん修学としての意味にこだわるからですが、歴史の教員である私にとっては何よりの楽しみでした。おかげで薬師寺のお坊様とすっかり仲良しになり、年賀状のやりとりをしています。

校長になってからは英語の研修にもついて行く機会を持ちました。秋田の国際教養大学のEnglish Villageは授業内容はもちろんですが、図書館や設備のすごさに驚きました。

マルタの語学研修では、キリスト教の宗教芸術を堪能しました。もちろん英語は極めて怪しいので、身振り手振りでなんとかコミュニケーションがとれ、この時は本当に生徒に助けてもらったと思っています。

昨年はこのような機会が一切持てず、今年もちょっと難しそうなのは残念です。

外濠フレンズやBlue Earth Projectで環境活動を一緒にした生徒も多数いました。大学生や他校の生徒との交流は私にとっても大いに刺激になりました。

こんな風に、校長として12年過ごしましたが、この間社会は大きく変動しています。

東日本大震災の時、学校で過ごした夜を忘れることはないでしょう。

また新型インフルエンザ、新型コロナの流行。

新型インフルエンザの時は関西から流行が始まっており、修学旅行に行くのはビクビクでした。この時買ったマスクが残っており、今回のマスク不足のおりにちょっと役だったのは皮肉でした。

今回のコロナ禍では、3~6月上旬休校。今まで戦時中の空襲が激しくなった一時期しか休校はなかったと聞いてます。

入学式も対面でできませんでしたが、iPadや各自のデバイスを使って、すぐオンライン授業に切り替えられたことは不幸中の幸いでした。

しかし、この経験が生徒の心に影を落としていないか心配です。思春期の子供達にとって、対面のコミュニケーションは成長のための大切な養分。オンラインでのコミュニケーションだけでは不十分です。今感染再拡大が懸念されていますが、休校などせずに令和3年度の学校生活が送れることを祈るばかりです。

…などなど、思い出は尽きません。
私個人にとっても、結婚、出産、育児、介護と仕事の両立を目指して走った40年でした。
気がつけば「田園将蕪(田園まさにあれなんとす)」。

家のことは放りっぱなしで、実家の母に「生徒と自分の子どもとどっちが優先なの?」といわれたこともしばしばでした。
しかしその子供達も大人になり、親になっています。
こうやって歴史はつながっていくのだな、としみじみ思います。
校長ブログ・「たま鑑」を8年近く書いてきました。
今回の記事が最終回となります。これはこれで名残惜しいものですね。

皆様、本当にありがとうございました。
4月からの新しい三輪田学園にご期待ください。