9月の下旬を迎え、ようやく秋めいた気候になってきました。
今日はそんな秋の到来に合わせた話題です(中学の始業式で話した内容を再構成したものとなります)。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
平安前期を代表する歌人の1人である藤原敏行の一首です。古今和歌集に採録された有名な歌で、ご存じの方も多いと思います。
「秋の到来は目にはっきりと見えるものではないが、吹いてきたさわやかな風の音に(秋の到来を)はっと気づかされることだ」
文語調ではありますが、「来・ぬ」が「来た」であること、「ぞ~ぬる」の係り結びで「気づき」を強めていることが分かれば、すんなり意味を取れるでしょう。
今回この歌を取り上げたのは、数年前に私のタイムラインにちょっと素敵なtweetが流れてきたのを覚えていたからです。内容は以下のようなものでした。
知人が結婚する際の決め手になったのは、夏の終わりに一緒に歩いていた時の出来事。
風が吹いてきたので「秋きぬと目にはさやかに見えねども」と何気なく呟いたら、「風の音にぞ驚かれぬる」と相手が応じた。その時「ああ、自分はこの人と結婚するんだ」と自然に思った。
(元tweetでは「だから万葉集や古今集は覚えておこう」と結ばれていました)
中学時代に国語の授業や長期休暇の課題で「百人一首を覚える」的な指導を受けた方は、保護者世代にも多いのではないでしょうか(ちなみに本校でも実施しています)。
正直「何の役に立つの?」と思っていた方もいらっしゃると思います。もしかしたら、現役の中学生の大半がそう思っているかもしれませんね。
このtweetはそういう疑問に対する1つの答だと思います。もちろん、「万葉集や古今集、百人一首を覚えておけば結婚できる」ということではありません。「一見無駄に思える学校の勉強も、必ず何らかの意味を持っている。ただ、それがいつ・どこで・どのような形で実感されるのかは人によって異なる」ということです。
引用tweetのような形で和歌の教養が「役に立つ」ことは、現実にはほとんどないでしょう。しかし、同時期に中学で学んだ社会科の知識が、生涯にわたる友人との会話のきっかけになるかもしれません。家庭科での調理実習の失敗が、パートナーとの共同生活で教訓として生かされるかもしれません。何なら、因数分解の解の公式が人生のターニングポイントになることだって絶対ないとは言えないのです。
人生に無駄な勉強など何一つありません。特に義務教育における学びは人生の基礎教養となるものなのです。
始業式ではもう一つ、おまけでネットリテラシーに関する話もしました。元tweetをされた方はアカウントを閉じた(変えた?)らしく、元tweetをXでは見つけられませんでした。スクショを撮っていたので内容を再現できたのです。つまり……
「あなたの発信は、一度ネットに上げたら取り消すことも完全に削除することもできません。好意的に引用されるならいいですけど……」
本当に、自分も気をつけたいものです。ネットにアップしていいのは「世界中の誰に見られてもいいことだけ」ですね。