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「あの人もここに学んだ」

たま鑑(たまかがみ)

たま鑑(たまかがみ)

三輪田三大行事の一つ、運動会が無事にすみ、校内は平常ムードに戻りました。

しかし来週には中間考査。生徒も先生も追い込みに余念がありません。

さてそんな中、同窓会の方から、面白い新聞を見せて頂きました。

昭和39年の産経新聞に連載されていた「東京の高校めぐり」という記事の中に、5日連続で三輪田の記事が出ていた、というのです。

三輪田学園には松操会という卒業生の会があり、(私も会員です)

全国どころか世界各地に支部がある大きな組織です。

会員は現在2万人弱おり、学園の教育をバックアップしてくださる強力な応援団です。

さて、その記事ですが、眞佐子先生の

「いくそ度 思ひかへても人の世は 誠のほかにゆく道ぞなき」

という和歌から始まって、「新時代の婦道を確立した学校」として、三輪田学園を紹介しています。

また、数々の卒業生のインタビューが載っていましたが、企業の社長や大学教授、軍人、政府の役人などの夫人が多数で、今更ながら驚きました。

中には三島由紀夫の母・平岡倭文重さんのインタビューも。

現在玄関に飾られている眞佐子先生像は2代目なのですが、大正期に創られた初代眞佐子先生像がロダンの高弟によって創られていたこと、登下校の際に必ず像に向かっておじぎをしたことなど、話されていました。

私が生徒の時は現在の眞佐子先生像は講堂にあり、その後改築の時に生徒をいつも見守って頂こうと言うことで、玄関に移しました。

私はついクセで、登校の際には眞佐子先生像に「おはようございます」と挨拶してしまうのですが、これが三輪田の習慣だったのだなあと思いました。

連載5回目は最終回。戦後、三輪田教育がどのように変わったかをまとめていました。

戦前まで良妻賢母教育を重視してきた学園から、進学組や就職組もどんどん増えるなど、

大きく変わって行きます。「良妻賢母?」という生徒も出てきました。(私も…)

これについて、この記事当時副校長だった三輪田元則先生は、

「女性の生き方として、良い母や妻であることが大事なことは変わらない。ただ、時代にふさわしい近代性をどうとりいれていくか…」

と話しています。

激しく変化していく時代に、眞佐子先生の教えをどう活かして行くか、

この頃も今と同じ、三輪田にとっての転換点だったのだと思います。

そして今、妻・母といった役割を超えて、女性が活躍する時代になっています。

大事なことは、自分自身の人生を自分で選び、切り開いていくこと。

そのためのチカラを付けるのが中高の6年間だと思っています。

眞佐子先生の精神を守りながら、今の時代にあった生き方を選ぶチカラを付けていく。

時代の変化に敏感に、生徒たちのチカラを伸ばしていきたいと思っています。